アヤソフィアの歴史から現在の最新情報まで!観光のポイントを一挙紹介

トルコ観光の代表格アヤソフィア。イスタンブールに行ったら初めに訪れる人も多いでしょう。
その歴史は深く約1600年も前にまで遡ります。
時代に合わせて、用途も変えられていたアヤソフィアですが、2020年以降はモスクとして利用されています。
今回は、そんなアヤソフィアをより深く楽しめるアヤソフィアの歴史や見どころ、最新情報などを紹介していきます。

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アヤソフィアとは

ギリシア正教の聖堂からモスクへ

元々はギリシア正教の聖堂としてビザンツ帝国に建てられました。
その後は、モスクになったり博物館になったりと千変万化の歴史をたどります。
1985年には、イスタンブール歴史地域の一部として世界遺産にも登録されました。
現在の正式名称は「アヤソフィア イ ケビル ジャーミィ (Ayasofya-i Kebir Camii)」。
トルコを代表する人気の観光スポットです。

アヤソフィアとハギアソフィアの違い

アヤソフィアはたびたびハギアソフィアとも呼ばれています。
これはトルコ語かギリシア語かの違いで、どちらも聖なる英知を意味します。
元々はギリシア語読みでハギアソフィアとして知られていましたが、現在はトルコ語読みのアヤソフィアと呼ばれることが多いです。

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アヤソフィアの歴史

ビザンツ帝国時代

アヤソフィアは360年ギリシア正教の聖堂として建てられたのが始まり。
初期のアヤソフィアは2度焼失するも、537年にユスティニアヌス帝により、現在のアヤソフィアの礎となる大聖堂が再建されました。
一時は十字軍(カトリック教会)によって占領されましたが、約1000年もの間ギリシア正教の本拠地として君臨。
アヤソフィアはビザンツ建築の最高傑作と評されています。

アヤソフィアに描かれたモザイク壁画はビザンツ時代のものですが、壁画の作成時期はさまざま。
聖母子像など人物像が描かれ始めたのは、8~9世紀に起きた聖像破壊運動後と考えられています。

オスマン帝国時代

1453年、オスマン帝国軍がコンスタンティノープル(現イスタンブール)占領。
イスラム国家であるオスマン帝国軍は、異宗教であるアヤソフィアを壊しはせずモスクへと改修します。
外観はそのままですが、聖堂内の十字架は外され三日月に変わり、モザイク画も漆喰で塗りつぶされました。
モスクの象徴であるミナレットやミフラーブも付け加えられ、モスクへと姿を変えました。

トルコ共和国時代

1932年アメリカの調査団によって、漆喰に隠れていたモザイク画が発見されました。これにより、ビザンツ時代の遺物としても注目されるように。
1934年には博物館として公開されます。
キリストとイスラムが共存する稀有な建造物として、トルコを代表する人気観光スポットとなりました。

2020年7月以降

2020年7月以降、アヤソフィアは再びモスクとなりました。
きっかけは2005年、とあるイスラム系団体が「アヤソフィアはオスマン帝国時代にメフメト2世がつくった財団のものであり、モスクである」とトルコの最高行政裁判所に訴えたこと。
これが認められ、
・アヤソフィアはメフメト2世時代の土地権利書にモスクとして登録され、それ以外の用途は違法
・1934年のアヤソフィアを博物館とする閣議決定は無効
との判決が下りました。
これによって、アヤソフィアは再びモスクに戻ることになりました。

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博物館からモスクへ 観光への影響とは

モザイク画は残されたまま

博物館からモスクに変わったことによって、観光客にどんな影響があるのでしょうか。
オスマン帝国時代モスクに転用された際に塗りつぶされてしまったモザイク画ですが、今回は塗りつぶされるようなことはありません。
貴重な文化財として残していくと政府は発表しています。
しかし、ドーム中央にある聖母マリアのモザイク画は布で隠され全貌は見れません。
2階ギャラリーにも「デイシス」など貴重なモザイク画が多数ありますが、現在は見学できない状況です。(2022年7月時点)

礼拝時間中は見学できない

他のモスク同様、礼拝中は見学できません。
礼拝前後も30分から1時間閉まっているので注意が必要です。
なお、博物館時代と違って、礼拝時間以外は24時間見学可能です。

追記:2024年1月15日以降、外国人観光客は2階部分のみ入場可能。1階は礼拝専用となります。

2024年1月以降有料化

博物館時代は入場料がかかりましたが、現在は入場無料。他のモスク同様、寄付形式となっています。

追記:2024年1月15日以降、外国人観光客の入場料が25ユーロとなります。

モスクのマナーに従う

宗教施設のため、モスクのマナーに従って見学しましょう。
具体的に肌を露出しない、女性はスカーフで髪を覆うなど注意が必要です。
多くのモスクではスカーフの貸し出しをしていますが、アヤソフィアでは有料。
なお、礼拝中の方にカメラは向けないよう配慮も必要です。

アヤソフィアの見どころ

聖母子像

聖堂内の正面上部にイエスを抱いた聖母マリアが描かれています。
一度漆喰で塗りつぶされたとは思えないほど、きれいにはっきりと残されていますね。
イスラム教では偶像崇拝禁止のため、モスクとなった現在は白い布で覆われています。

6翼の天使たち

ドームとドームのすきまに天使のモザイク画が描かれています。
これらは6枚の翼を持ち、天使の最高位とされるセラフィム(熾天使)とされています。

大ドーム

直径約33m、高さ55mもの巨大ドームは563年に造られたもの。
ロードス島で作られた非常に軽いレンガが使用されています。
ビザンツ時代にはこのドームに十字架がかかっていました。
大聖堂と呼ばれるにふさわしいドームで、のちのオスマン建築にも大きな影響を与えています。

ユスティニアヌス帝とコンスタンティヌス帝の像

聖堂向かって右側出入口の上部にある、ユスティニアヌス帝とコンスタンティヌス帝の像。
ユスティニアヌス帝(左)がアヤソフィアを、コンスタンティヌス帝(右)がコンスタンティノープルの街を聖母子に捧げている作品です。

円盤

礼拝堂の上部にある円盤は、直径7.5mもありひときわ存在感があります。
円盤にはアッラーやムハンマド、ムハンマドの後継者の名前などが刻まれています。

ミフラーブ

イスラムの聖地メッカの方角を示すミフラーブ。
15世紀にメフメット2世によって加えられたものです。
ミフラーブは本来建物の中央に設置されるものですが、アヤソフィアは元々ギリシア正教の聖堂として造られたもの。
そのため、角度が少しずれ右寄りにミフラーブが置かれています。

ベルガマの壺

ベルガマで採掘されたひと塊の大理石からできた壺。
16世紀、当時のオスマン帝国のスルタンムラト3世が作らせたとされています。
ベルガマにあった壺をスルタンが持ってこさせたという説もありますが、真意は定かではありません。

聖母マリアの手形

別名願いの柱やすすり泣く柱とも呼ばれている、聖堂内にある柱。
柱のくぼみに親指を入れて360度まわすと願いが叶うと言われ、子宝に恵まれた、頭痛が治ったなどの言い伝えがあります。

アヤソフィアへのアクセス

スルタンアフメット駅すぐそば

アヤソフィアががあるのは、旧市街スルタンアフメット地区。
トラムヴァイのスルタンアフメット駅(Sultanahmet)すぐ近くにあります。
入口は公園側。アヤソフィアに向かって左手にあります。

アヤソフィアはスルタンアフメット広場を挟み、スルタンアフメット・ジャーミイと向かい合うように建っています。

まとめ

キリストとイスラム文化を同時に体感できる

アヤソフィアはキリストとイスラムの文化を同時に見学できる、世界でも珍しいスポット。
一度アヤソフィアに足を踏み入れると、その歴史の長さをありありと感じられます。

このあたりは観光客がとにかく多いので、時間帯をずらしたり時間に余裕を持ったりして見学するのがおすすめです。

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