アヤソフィアが博物館からモスクへ!観光への影響は?

トルコ観光の代表格であるアヤソフィア。文明の十字路の象徴と言える世界遺産です。
当初は、ギリシア正教の大聖堂として建てられました。
その後、オスマン帝国時代にモスク(イスラーム礼拝所)に改修され、近代以降は博物館として親しまれています。
そんなアヤソフィアですが、2020年7月、博物館からモスクに戻ることが決まりました。
今回は、アヤソフィアの基本情報からモスク化による観光客への影響までを徹底解説します。

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アヤソフィアとは?

トルコ観光の目玉スポット

イスタンブル旧市街のど真ん中に位置するアヤソフィア。
観光客が必ず訪れると言ってもよい目玉スポットです。
場所はトラムヴァイのスルタンアフメット駅すぐそば。
地下宮殿やグランドバザール、トプカプ宮殿が徒歩圏内の、観光の中心地です。
ブルーモスクと向かい合うように建ち、存在感のある朱色の建築物がアヤソフィア。
巨大ドームや歴史あるモザイク画と装飾が、どことなく神聖な雰囲気を醸し出しています。

icon-arrow-circle-downアヤソフィアの地図

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アヤソフィアの歴史

ビザンツ帝国時代に建てられたギリシア正教の大聖堂

アヤソフィアの建立は360年、ビザンツ帝国時代。
ギリシア正教の大聖堂として建てられました。
その後、3度の火災に見舞われますが、537年にユスティニアヌス帝の命により、現在のアヤソフィアの基礎となる大聖堂が再建されます。
注目すべきは、高さ55m、直径33mもある巨大ドーム。
アヤソフィアは、ビザンツ建築の最高傑作と呼ばれています。

オスマン帝国時代にモスクへ転用

1453年、オスマン帝国のメフメト2世が、現在のイスタンブールを占領。
その際、アヤソフィアは破壊されることなく、モスクに転用されました。
モスクを示す4つの尖塔やメッカの方向を示すミフラープなどが加えられます。
また、イスラームでは偶像崇拝を禁止しているため、元々描かれていたモザイク画は、漆喰で塗りつぶされました。

その後約500年間、アヤソフィアはモスクとして利用されます。
アヤソフィアは、オスマン帝国の建築家たちに絶大な影響を与えました。
ブルーモスクやスレイマニエモスクなど、オスマン帝国時代の代表的モスクは、アヤソフィアの影響があったと言えるでしょう。

アタトュルクの時代に博物館へ

1932年にアメリカの調査団により、モスクに転用された際に塗りつぶされたモザイク画が発見されます。
1934年トルコ共和国の時代に、アタトュルクの世俗化政策の一環として、アヤソフィアは博物館へと生まれ変わりました。

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アヤソフィアモスク化の経緯

政治的要因か

2020年7月10日、トルコのエルドアン大統領はアヤソフィアをモスクにすると発表しました。
エルドアンの支持基盤であるイスラム保守層からは、喜びの声が上がりましたが、トルコ国外のキリスト教圏からは反対の意見が出ています。
なぜ、エルドアンは今になってアヤソフィアをモスクにしたのでしょう。
理由のひとつに、政治的要因があると言われています。
現在、エルドアンの支持率は降下ぎみ。支持者をつなぎとめるための政策ではないかと言われています。

アヤソフィア観光への影響とは?

礼拝時間以外は見学可能

モスクに転用されたからといって、観光ができなくなるといった心配はありません。
他のモスク同様、礼拝時間以外は見学ができます。
観光客へのメリットと言えば、入場料が無料になること。通常モスクでは入場料は取らず、寄付形式です。追記:2024年1月15日以降、外国人観光客の入場料が25ユーロとなります。

イスラム教は、偶像崇拝が禁止されていますが、モザイク画がまた塗りつぶされるなんてこともありません。
礼拝中は、ドーム中央にあるマリア像は布で覆うそうです。
また、以前は月曜休館でしたが、モスク転用後は月曜も見学できます。

モスク観光の注意事項

露出は控える

博物館ではOKでも、モスクではNGなことがいくつかあります。
モスクでは、女性はスカーフなどで頭を覆わなければいけません。
髪の毛を隠せるスカーフなどを持参しましょう。
また、男女とも露出は厳禁。
タンクトップや短パンでは入場できないので、露出を控えた服装で観光してくださいね。

まとめ

服装や礼拝時間に気を付ける

博物館からモスクへの転用は、イスラム教徒とキリスト教徒にとって宗教的な影響は大きく、様々な意見があると思います。
とはいっても、これまで通り観光客へ開放されます。
服装や礼拝時間に気を付け、アヤソフィアモスク観光を楽しんでくださいね。

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